Column

2010.07.11

薫物から香木へ

献香・供香など宗教儀礼を中心に用いられた時代から、「もののあはれ」という美的理念に基づいて、やがては日常の文化生活に欠かせないものとして用いられた時代を経て、香は、中世という新たな転換期を迎えることになります。

権力が公家から武家へ移るにつれ、使用される香にも大きな変化が現れました。数種類の香料を調合した薫物から、単一の香木の小片へと、焚かれる対象が替わっていったのです。

これは単純に嗜好や習慣の変化に止まらず、より大きく、より深い、現象の現れであり、日本文化の流れを象徴するものと考えられます。

すなわち、常に他者との関わりを意識し、自分という存在を演出することを最大の関心事としていた時代においては、香は、その目的を達成するために所有する、道具の一部に過ぎなかったと思われます。ところが、戦乱の続く世の中にあって、他者の死ばかりか自分の死までもが日常的に起こり得る状況を背景に、人は自己の内面に向かって思いを巡らせ、眞理に迫ろうとし、その標として香木の香りを用いたのでした。(もちろんそこには、「無常」という仏教思想が大きな影響を与えていたであろうことは、容易に想像されます。)

なぜ香木の香りなのでしょうか。その説明は言葉では尽くし難いものがあり、関心のある方には香席という形で体験していただける機会を設けています。(体験香席の詳細ページへ)ここでは先人が残した言葉を引用しておきます。

 

「天地の正気聚まりて香木となる。香木は散じて天地の正気となるなり」

「香馥(こうふく)は天地自然の和なり、故に天地に会盟するの理は鼻端(びたん)にあり」

 

さて、用いられる香が、薫物から単独の香木そのものへと替わるに従い、薫物合は香合(こうあわせ)へと変化し、やがて「組香」という形式が確立され、香道の基幹となっていきました。組香の中には、『源氏物語』を主題にしたものが数多く存在しますが、ここでは代表的なものとして「源氏香」を取り上げておきます。

 

■組香解説

二種類以上の香木を順次焚(※)き継ぎ、それ等の香味の微妙な変化や相異を全体の流れの中に感得する聞香方式を「組香」と称します。 組香は焚(※)きだす順序を香元があらかじめ決めておき、意図的に流れを組み立てるものと、焚(※)きだす順序を香席で偶然に任せて、全体の流れの解釈を連衆一人ひとりの主観に委ねるものと大別されます。 後者の中に、広義の「系図香」が含まれています。系図香の名称は、その解答が線のつながりによってされ、家系図に似るところに由来しています。特に香木三種によるものを三種香、四種を系図香と呼びますが、殊に著名なものが五種による源氏香です。

源氏香では、各々五包ずつ用意した五種の香計二十五包を打ち交ぜ、任意に五包を取り出し、これを任意の順に焚(※)き出します(無試)。 任意に取り出した五包は、全てが一の香であるかもしれませんし、二の香が三包と四の香が二包かもしれません。  この組合わせの可能性は全部で五十二通りあり、これに源氏物語全五十四帖のうち最初の桐壺と最後の夢浮橋とを除く五十二帖を当てはめました。

連衆は、順次焚(※)き出される一番目から五番目までの香を聞き分け、何番目と何番目が同木であったかを図によって示した上、当てはまる巻名を記して、解答とします。

 

例えば、二番目と四番目が同香、三番目と五番目が同香であった場合、該当する線を結ぶと、右記のような図が出来上がり、この図に相当する巻名は「初音」となります

 

この組香の心髄は、単に同香・異香の聞き分けのみに意を致すに止まらず、各香木の香味を極める過程において、それぞれに似つかわしい登場人物を当てはめつつ、自らの想像力に依って物語を展開させてゆくところに在ると言えます。そして、その奥行きの深い構想の故に、源氏香は、源氏物語に主題を求めた幾つかの組香を代表すると共に、聞香の歴史上極めて大きな意義を持つ存在になり得たものと考えられるのです。

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