(14)銘香について

人は、自分が愛する物に対して、単に他の物と識別するという実用的な意味にとどまらず、その対象のどんなところをどの様にいとおしいと感じるのか、その機微をとどめる縁として、特別な名前を付けることがあります。すなわち「銘」と呼ばれるものです。

香木の場合も同様で、銘を付された香木を銘香と呼びます。

混同され易いので書き添えておきますが、「名香」と呼ばれる場合には、銘の有無にかかわらず、著名な上質の香木を指しています。従って、名香は例外なく素晴らしい内容を持つ良い香木であるのに対して、銘香は、銘が付されているからと言って、必ずしも名香であるとは限らないのです。

銘の付け方には様々あり、香木の出所によるもの(例…東大寺、法隆寺、園城寺、法華)、姿や形、色などによるもの(例…縮黒、紅塵、白雲)、故実によるもの(例…太子、蘭奢待、念珠)等ですが、圧倒的に多いのは詩歌によるものと言えます。前号で触れた勅命香(例…春の山風、少年春、軒洩月、初瀬山、浦風、雲井桜、誰袖、軒の玉水)も、その殆どが和歌を典拠として命銘されたものです。

詩歌銘の具体的な例を挙げて説明してみます。

●「紅梅」(木所は羅国、味は苦甘辛)

炷き始めは苦く、次に甘さを漂わせ、最後は辛く終わる香木です。命銘した人は、恐らく苦と辛の間にほのかに匂うかすかな甘味をこよなく愛したのでしょう。源氏物語の紅梅の巻から銘をとりました。典拠となる歌(証歌)は「心ありて風のにほわす園の梅にまづ鶯の訪はずやあるべき」です。風は紅梅、鶯は匂宮、そして園の梅は紅梅の娘、中の君を例えています。敢えて「園の梅」と命銘しなかったのは、証歌そのものより、紅梅の巻全体の物語の流れを強調したかったからだと想像されます。

香木の内容と香銘とが見事に合致する例は数多くありますが、筆者が最も深く感銘を受けたのは、「ほととぎす」と言う伽羅でした。どなたが名付けられたものか、証歌が何かも定かではないのですが、それは紛れもない名香でした。

名香と称えられる為に備えているべき条件は幾つかあります。少なくとも、五味(辛・甘・酸・鹹・苦)以外の余計な香りを一切出さない事は、香木としての品格に関わる重大な要素です。ところが、それには極めて稀な例外が一つだけ存在します。それが、五味以外の特殊な何か、すなわち「奇気」と呼ばれるものです。それは、香木の一片を銀葉に横たえた瞬間、まさに、適切な火加減によって熱せられようとしたその一瞬にだけ仄かに、しかし何故か鮮明に立ち昇る夢の様な香りです。「ほととぎす」にはそれがありました。

何処から来て何処へ飛び去ったものか、ただひと声だけを残してその姿を見せない鳥の名が、その香木に付銘されているという事実を知った時、得も言われぬ感慨を覚えたのでした。