Column

2010.07.11

挿朶及挿朶嚢(幽光斎箱書)

御家元に成り代わって、香道具を作らせて戴くことがあります。その場合、お道具は香雅堂の商品ではなく、あくまでも御家元が門弟にその所持を許され、頒け与えるためにお作りになるものとなります。従って、店頭に飾ることはもちろんのこと、お問い合わせを頂戴しても、御家元の許可無く回答することを避けます。
流派に伝来する諸道具には、単なる「好み」を超えて、「そのように作られなければならい理由」が在り、それは大抵の場合、手前作法の必然から生まれた、使い勝手の良さと関連しています。素材の質や加飾の手法以前に、目的に副った仕様と寸法が重視されることが多いと言えます。

所持を許される門弟の、資格が問われることもあります。門弟だからといって、誰でも持つことが許されない場合がほとんどです。それは、手前作法にも様々な種類や段階があることから、当然とも言えます。まだ到達していない段階の手前に用いるお道具を所持していても、意味が無いからです。「道」の奥に進むに連れて、新たな手前作法と、それに必要なお道具が順次現れてくるのです。

香道志野流は、伝授の段階が細かに分かれていること、また手前作法が厳格であることで知られています。「型に入りて、型を出る」という境地こそが、志野流の香道を最も端的に言い表すものと解釈できると思います。

今回ご紹介する香道具は、志野流松隠軒伝来写「挿朶及挿朶囊」です。

香会に参加する連衆が、各自これに名香を入れ、持ち寄ります。袋の口の結び目には、季節に因んだ十二ヶ月の趣を表す造花を挿し添えて、各自の目印とするのです。一月は梅、二月は桜、三月は藤。以下牡丹、杜若、百合、朝顔、桔梗、菊、紅葉、水仙、椿と続きます。

このお道具は、限られた手前作法に用いられる一方で、写真のように単独で台に載せ、床飾りとすることもあります。その点で、汎用性のあるものとして、希望する門弟全てに所持の機会を与えるという判断を御家元が下され、頒布されたことがありました。平成三年十一月のことでした。

松隠軒に伺って本歌の伝来品をつぶさに拝見した私は、正直なところ、前途多難な道のりを思い浮かべました。御家元の代わりに製作を担当させて戴くわけですから、現在に伝わる伝統工芸の技術の粋を結集して、可能な限りに完全な復元を図らねばなりません。安易な妥協は、一切許されないのです。一方では、全ての門弟達に購入の門戸を拡げるという主旨も忘れるわけには参りませんから、出来る限り求め易い金額に押さえる必要もあります。果たしてご期待に添えるのか。

御家元(香道志野流第二十世家元 蜂谷幽光斎宗玄宗匠)は、些細な指示は一切出されません。ただ、伝来品そのものを見本としてお預けになります。私も、その詳細な内容を把握するまで、質問は一切しなかったことを覚えています。先ずは、復元できるかどうか、その見極めに集中しました。

袋は、本金錦二種を片身変わりに縫い合わせ、右縒り・左縒りの紐二種を一組として、錦に縫い込んであります。口は、茶入れの仕服と同様の作り。紐は正絹の草木染で、紫と朱の二通りですが、いずれも古いもので、本来の色目は推測して再現するしかありません。台は桐木地で、極めて繊細な指物です。ここまでは、困難ではありますが、何とかなると思われました。それぞれの分野で、信頼出来る名人が居られることが判っていたからです。

問題は、造花でした。江戸には「摘み簪」という髪飾りの技術が伝承されていますが、それとは根本的に異なる分野であることは、直ぐに判りました。挿朶に用いられていたのは、遥かに繊細な、しかも木綿ではなく、正絹による造花だったのです。復元できるのは、京都御所出入りの職人さんだけと思い、調べてみました。走り回ってくれたのは、母でした。ようやく探し当てた職人さんは既に高齢で、頼み込む母にこう言われたそうです。『一組、二組なら何とかやったげてもええけど、ぎょうさんはあかん、ようせんわ。』今にも倒れそうなお爺さんにそう言われると、さすがの亥年生まれの母も引き下がらざるを得ず、さらに走り回って、ようやく技術者を見つけてくれました。幸いにも、指物師さんの親戚に関係者が居られることが判ったのでした。

何度も駄目出しを繰り返し、御家元にご覧に入れられるだけの見本が完成した時は、本当にホッとしました。いちばん喜んでくれていたのは、母だったと思いますが。御家元からは、『良いものが出来ました』という意味の一言を頂戴したと記憶していますが、それは私たちにとって、最大級の褒め言葉でした。

このお道具は「松隠軒頒布品」として全国の門弟に知らされ、相当な数のお申し込みが御家元宛に届きましたが、予め判った個数に合わせて錦を織り、正絹の紐を染めて組み、なるべく効率良くすることで原価を抑えようと試みたものの、それでもかなり高価にならざるを得ませんでした。せっかくの頒布品で、なるべく多くの門弟に普及させたいと考えられる御家元からは、『もっと安く作れないか』とのお言葉を再三再四頂戴しましたが、精一杯でした。でも、門弟たちの負担をなるべく軽減したいとの御考えが痛いほど伝わって来て、本当に良い勉強をさせて戴いたと感謝しています。

何年かが経た後に、御家元から『今後は、作りたいと希望する門弟が居られたら、あなたの判断で作って戴いて結構です。箱書きは、します。』と仰って戴きました。流派にとって大事な伝来品写の香道具をこのような形で公開できるのは、そんな経緯があったからです。

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