(4)白磁八卦聞香炉(幽光斎箱書)

『最も重要な香道具は、何だと思うか?』という意味のご質問を戴いた際に、『聞香炉もさることながら、それに入れる灰と炭団(たどん)は更に大事だと思います』と答えた記憶があります。

灰や炭団が道具と言えるかどうかわかりませんが、聞香する上で最も重要な要素であることは間違いありません。それらの要素に難点があれば、どんなに素晴らしい聞香炉を用いて名香を炷(た)いても台無しになり、稀少な香木の無駄遣いともなりかねないからです。

灰と炭団に要求されることは、先ず余計な匂いを出さないこと。そして、香席で聞香を終えるまでの約一時間、安定した火力を維持できることです。いずれも市販品に理想的な品質を持つものは無く、代表的な良質の灰として知られる「菱灰」は、色だけは古来のものに似せていますが、菱の実を焼き、紅で染めたものではありません。

灰にも炭団にも、製法には秘伝・口伝があり、本来は御家元が自ら作られるものが最良です。
志野流では、先代宗匠(第十九世家元蜂谷幽求斎宗由(ゆうきゅうさいそうゆ))の時代までは炭団を作っておられました。匂いは無く、火持ち・火加減も申し分ないもので、私の知る限りにおいては、理想的なものでした。近年では門弟の数が飛躍的に増加し、御家元は多忙を極める事態となられ、製造がままならなくなっていることは非常に残念に思います。

炭団を熾(おこ)すだけで、室町時代から連綿と継承されて来た伝統芸道の重みを一目瞭然の如く感得できることを知った時、一芸を極めることの凄さと、極意を継承されることの尊さを学んだ気がします。それは、どんなに雄弁に語る美辞麗句も遠く及ばない、直截に脳の最深部に達するような説得力に満ちた、静かな衝撃だったと覚えています。
聞香炉にも、そのような力を持つものがあります。

「聞香=香を聞く」という表現の意味については、様々な解釈があります。私にとって「聞く」とは、「相手と一体となるべく心を開き、自らの感性を研ぎ澄ます」ことに他なりません。無心に聞くことによって、香りと一体となる境地に逍遥すること、それこそが、聞香の醍醐味と感じています。そして、その境地に至るのを邪魔しないことが、優れた聞香炉に備わるべき大切な力なのです。

平成元年、香道志野流松隠軒の頒布品として手掛けさせて戴いた「白磁八卦聞香炉」の本歌であった伝来品は、素晴らしい力を備えていました。お預かりして掌に載せた際、まさに瞬時に肌に馴染み、香炉と掌との境界が判然としないような感覚に胸を打たれたことが忘れられません。作者が何時の時代の人で、何処の誰かは存じませんが、間違いなく、名人でした。使われている土の感触や色合いから、白薩摩ではないかと思いましたが、写を作らせて戴くに当たり、本歌に迫れる可能性を秘める作者は唯一人しか思い浮かびませんでした。有田の奥川俊右衛門(おくがわしゅんえもん)さんです。御家元の伝来品を宅配便で送ることは憚られましたので、大切に抱えて、佐賀県に向かいました。

到着するや否や箱から香炉を取り出して『作って戴けますか?』と単刀直入に切り出した時の俊右衛門さんのお顔は、今でも脳裏に焼きついています。困ったと言うよりは、怒ったように見えました。そうでなくても寡黙な彼の口から何か言葉が発せられるまでの時間が、とても長く感じられました。『僕は白磁しか作れませんが、やってみます。』そう聞き取れた瞬間に、肩の荷が降りるのを感じました。

伝来品の写を制作するためには、原作者に迫るだけの感性と技術と志を併せ持っている必要があります。その技術は、道具としての使い心地を満たせるほどに成熟していなければなりません。そして、手轆轤(ろくろ)を挽きながら、幾つ作っても、同じ寸法に仕上げる精度が要求されます。二基一双が原則の聞香炉は、一双が何れも同じ直径・高さ・厚み・重さであることが望まれるからです。しかも、八卦文は箆(へら)で削り出して浮き彫りにし、その幅は約二ミリ、高さ約一ミリ、間隔は約二ミリで統一され、香炉の周囲を正確に八等分して八種類の卦を描くことが要求されるのです。それだけでも、神業としか表現できません。

完成品を手にした私は、心底から驚きました。それは、如何に無形文化財であった初代忠右衛門の技と心を引き継ぐ天才とは言え、千四百度の炎の中で揺らめきながら焼成される二百を超える数の香炉が、寸分の狂いも無く同じ寸法に仕上がったことに対してではありません。透明感さえ漂う凛とした切れ味を感じさせる形状を示しながら、ひとたび手にすると、本歌である白薩摩を彷彿とさせる柔らかさが掌に伝わり、例えようも無い心地良さを覚えたからです。普段は大作に挑まれることが多い俊右衛門さんの大きな手から、どうすればこのように繊細な道具が産まれるのか、不思議でなりませんでした。

有田の磁器は、先賢の残した偉業の賜を伝統と勘違いしているかのようで、気懸かりです。伝統は、ただ手を拱いていては継承できません。そんな中、次代の無形文化財と目される俊右衛門さんが益々寡黙に精進を重ねておられることが、数少ない救いの一つと思っています。
さて、適切な火加減に調えられた聞香炉で炷き出される一片の香木から、果たして如何なる境地が得られるのか。「聞く」ことによって、何かが返ってくるのか―――答えは、目に見えることなく立ち昇る、一炷(ちゅう)の煙の中に在るようです。