Column

2010.07.11

梨子地桐鳳凰文沈箱

室町時代から継承されている香道の流派に、志野流と御家流があります。
志野流は一子相伝を基本とし、古くから家元制度が確立されています。それはいわゆる「不完全相伝制」と称されるもので、皆伝の伝授を行なえるのは当代の家元ただ一人に限られます。

それに対して、御家流の特徴は「完全相伝制」にあります。すなわち、皆伝の伝授を受けた者は、また自らの弟子に対して皆伝を伝授することが出来るという制度です。そのために、歴史的に見ると、
御家流には様々な流れが存在しています。

その詳細や、当代御宗家のご方針等を解説することは本稿の目的ではありませんので割愛しますが、香道の近代史を語る上で忘れてはならない人物について、簡単に触れておきたいと思います。
それは、現代に御家流の香道を再興させたいとの悲願を抱き、実行した稀有な伽羅人(きゃらびと)、故山本霞月女史です。悲願の成就は、様々な困難や矛盾を抱えるものであったと想像できますが、
女史は、その多大な経済力を惜しみなく活用し、故三條西公正(さんじょうにしきんおさ)氏を香道御家流第二十一代宗家として推戴し、当時の錚錚たる知識人に香道の愉しさを伝え、広めたのです。

皇后陛下のご母堂も、その一人であられました。
そのような方々の中に、故竹山千代様がおられました。たくさんの門弟から、『おばさま』と親しまれ、『ごきげんよう』のご挨拶がとても自然に感じられる、素敵な香人でした。時折り催される香会では、所持されていた貴重極まりない名香を惜しげもなく聞かせて下さり、席中の私に感想を求められました。素直に感じたままをお話すると、いつも大層喜んで下さって、家に戻った頃に必ず電話を頂戴し、『わかってくれる方に大好きな名香をお聞かせできて、本当に幸せよ。』と、お礼の言葉をいただくのでした。
千代様が皆伝の伝授を出された門弟の中に、福島県から熱心に通い続けた尼僧がおられました。高野山真言宗準別格本山『奥羽高野山極楽寺』の高橋妙惠様で、『妙香会』を主宰し、香木の香りを味わう愉しさを伝えることを通して、当地に日本の伝統文化の輪を広げた功労者と言えます。残念なことに平成六年、志半ばで遷化されましたが、ご子息が跡を継がれ、高弟の方々もほとんど離散することなく、会は益々の隆盛を迎えています。
今回採り上げる香道具は、妙惠様ご存命の頃、『どうしても作りたい』と意欲を燃やしておられた「沈箱」です。当時における最高峰の技術と志を持つ職人さんを集結し、粛々と調製を続けましたが、その期間は数年を要し、完成品をご本人にご覧戴くことは叶いませんでした。高弟と共に受け取りに来られたご子息様にお納めする際、私にはこの「沈箱」が、あたかも〝譲り葉の精〟であるかのごとく思えました。
十文字さんに撮影していただくためにお借りする必要があり、極楽寺に向かって車を走らせましたが、調製当時を懐かしく思い出しながらの楽しい道中でした。貴重なお道具を快くお貸し下さった高橋霞峯様に、篤く御礼申し上げます。
およそ十年振りに対面した「沈箱」は、記憶を遥かに上回る出来栄えでした。

完成当時には、ただ想像するしか出来なかった「十年後の姿」――最上質の梨子地粉、ふんだんに用いた荒い金粉たちが、それらを塗り込めた漆が歳月の経過とともに透け始めることによって、本来の落ち着いた輝きを見せてくれています。
押し面・懸籠(かけご)の蛤刃にも上質の金粉が蒔かれており、極めて重厚で、上品な光を放っています。蒔いた金粉をどこまで光らせるか、それは、お施主様や作らせる側の好みにもよりますが、最終的には仕上げの研ぎを行なう職人さんの見識の高低にかかっています。完全には研ぎ上げず、僅かな余韻を残しておくことにより格調の高さを感じさせるのは、京風の真骨頂と言えます。

京都を代表する蒔絵師さんの筆の切れも小気味良く、加飾の見事さにばかり目が行き勝ちですが、このお道具の素晴らしさは、目に見えないところ、すなわち木地の指物と下地塗りの双方が、完璧に行なわれているところにもあります。それを垣間見ることが出来るのは、小箱の内側です。塗師や研師にとって最も困難な仕事は、小さい角型の箱を完璧に塗り、研ぎ上げることですが、ここではそれもごく当然のように為されており、そのさり気ない美しさの陰には、歳月の経過を感じさせない木地の良さと指物の確かさが存在しているのです。そして、それらを成し遂げた職人さん達の誇り高き笑顔さえ、私には感じることが出来ます。

漆芸史上、昭和から平成にかけての香道具を代表する記念碑としてこのお道具を残せたことは、大変に誇らしく思えます。
久し振りにこの「沈箱」を拝見して、様々な思いが駆け巡りましたが、改めて実感するのは、生活必需品としての実用食器を生産して来た産地に伝わる技法・技術と、大名道具に代表される美術工芸品としての美をも追求してやまなかった産地に継承される技法・技術との、埋め難い相違です。「漆芸」を目指す方々にお願いしたいことは、目新しい技法・技術の開拓に時間を費やす以前に、先ず先達が残した仕事の遺産を徹底的に研究して、いつでも復元が可能な状態を維持して戴きたいということです。困難であることは承知しているつもりですが、日本の伝統工芸を幾久しく継承していくために、必要なことと痛感しています。
「沈箱」が何のために作られた道具かについては諸説ありますが、調製した私自身には、それなりに確たる信念と方針がありました。その解説は、次回に譲ります。

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