(8)桑木地忍草蒔絵乱箱・長盆・四方盆(幽光斎箱書)

香道志野流では、本拠地「松隠軒」(名古屋市西区上名古屋)の他、全国各地に百数十箇所の公開教場を展開されていますが、御家元(第二十世蜂谷幽光斎宗玄宗匠) が常時直接に指導される教場は数少なく、例えば京都であれば「銀閣寺教場」(銀閣寺弄清亭)、東京に於いては「似々教場」(日本橋人形町)がその「家元教場」に該当します。関東一円の公開教場に所属する門弟が伝授を受ける際には、「似々教場」に出向くことになります。

今回は、「似々教場」でお使い戴いているお道具の中から、乱箱・長盆・四方盆を採り上げます。永年に亘って御家元の手伝いをされている高橋千惠子先生に、恐る恐る撮影のためのお貸し出しを打診したところ、快くお許し下さいました。

先ず、指物師が「最良の素材」と評価する「桑木地」について、触れてみます。

桑には、約千八百種あると言われています。落葉性の喬木で、根皮は生薬に、実は食用に、葉はお茶に用いられる有益な樹木と言えます。中国北部から朝鮮半島を原産とし、三世紀頃、養蚕の知識と共に我が国に伝えられたものは「唐桑」或いは「真桑」と呼ばれ、主に蚕の食料として葉を得るために栽培されて来ました。幹が空洞になるのが特徴で、指物の材料には向きません。

「真桑」が不足した場合に代用されたのが「山桑」ですが、これは「白桑」・「魯桑」などと同様に、日本で自生していた種類だと思われます。主に山間部に自生する桑を「山桑」と称するのに対して、丘陵部のものを「地桑」と呼び、日向や江州が重要な産地として知られています。

指物師に珍重されたのは、それらとは別種で、伊豆諸島の御蔵島・三宅島などに人知れず育った「島桑」の大木です。

「島桑」は年輪が緻密で、粘りのある硬質材です。そして珠杢(たまもく)・波文など極めて美しい木目を呈する部位を有すること、そして樹脂分の滲出により年月の経過と共に黄褐色から黒褐色へと 絶妙な色合いに変化する雅趣には、指物の素材として他の追従を許さないものがありました。

「島桑」を語る時、かつて「桑樹匠」(そうじゅしょう)と呼ばれた人々が活躍した時代があったことに触れておかねばなりません。両者共に、今や過去形で話さねばならないことが、残念でならないのですが。

伊豆諸島は、江戸時代には幕府の直轄地であり、物産は江戸に設けられた「島会所」を通じて売買されていましたが、その規模は決して大きくはありませんでした。明治時代の後半になって定期航路が開設されるに至り事態は一変し、豊富に眠っていた桑材は本格的に伐採され始め、搬出が行なわれたのです。そんな中、従来から江戸指物の腕を揮って「桑物師」と尊称されていた人々の中から、特に「島桑」の銘木を専門的に扱う指物師が登場することになります。

最初に「桑樹匠」を名乗ったのが、三宅島出身の前田桑明(一八六五~一九四二)でした。続いて伊豆稲取出身の前田南斎(一八八〇~一九五六)、伊豆修善寺出身の稲木東千里(一八九二~一九七九)が頭角を現しました。東千里が伝統と様式化された形態を超えた独創性を追及して行ったのに対し、南斎は飽く迄も伝統に忠実で、品格と雅趣を備える作品を制作しました。

南斎が残した作品三十数点が、財団法人遠山記念館に所蔵されています。没落した生家の再興を果たした遠山元一(一八九〇~一九七二)が、苦労して育ててくれた母親美以に晩年を過ごして貰うために建築を志した邸宅の調度として、南斎に調製を依頼したものです。「四季草花彫嵌飾棚」をはじめ鏡台や須彌壇に至るまで豊富に「島桑」が用いられ、その美しい素材と、それらを見事に活かし切った技術と志の高さとが相俟って、施主の温かい心さえも映し出しているような気がして、見飽きることがありません。平成十五年に「香りの道具」展が開催された際、学芸員の久保木 彰一氏から伺ったところによると、遠山邸に用いられた材料を最後に御蔵島から良質の「島桑」が産出することは少なくなり、それに伴って「桑樹匠」の存在感も次第に希薄となって行ったようです。

自然の惠みを大切に活かしつつ、それらを産み出してくれる環境もまた大切に維持することを心掛けねば、道具も、それを作る職業も廃れて行きます。それは、古くからの伝統を守る芸道にとっても、由々しき問題と言えます。

香道志野流に用いられる道具は、伝統に基づいて、そして御家元の好みに応じて調製されますが、木地を素材とする場合、良質の桑が選ばれることが多いようです。木地のまま仕上げることもありますが、透き漆を塗り、拭き取ってから磨き上げて仕上げるのが通常です。写真の道具は、何度か拭き漆を重ねて下地を作り、松隠軒御好みの忍草蒔絵を施した力作です。

木地に蒔絵を付けるのは、根気の要る、困難な仕事です。如何に材質が緻密とは言え、木地には木目があり、従って微妙な段差が連続していて、蒔絵の筆には大変に劣悪な状態なのです。砥の粉で目を詰めてしまうのも一案ですが、風合いを損ねる恐れがあり、採用しませんでした。

濃くて堅い漆を用いて蒔絵の線を描くのですが、そのことが、筆の命である僅か数分の一ミリほどの毛先を傷めます。更に、この忍草という柄行は、名人にしか表現できない高度な意匠です。細かい金粉を用いる平面的な技法では、このような品格を表わすことは叶いません。動きのままならない筆先で伸びやかな線を描き、しかも格調高い立体感を表わす―。

まさに職人さん泣かせの仕事でしたが、ご用命を賜わったことによって後世にも伝えられる優れた作品を完成させることができ、本当に有り難いことと感謝しています。優れた素材は職人の魂を目覚めさせますが、優れた職人を育てるのは、困難な仕事以外にありません。次の時代にも優れた職人さんが存在し続けて、このような道具を作ることが出来るよう、そして素材にも恵まれますよう、祈念してやみません。