(9)唐草蒔絵火道具(南鐐/本象牙)

香木(沈水香木)ほど奥深いものは、この世に存在しないのではないかと思います。

古人は、人智を遥かに超越する自然の神秘に畏敬の念さえ抱き、例えば次のような言葉を残しています。『天地の正気(せいき)聚(あつま)りて香木となる。香木は散じて天地の正気となるなり。』本をただせば樹木(沈香樹)の一部でありながらもはや木では無く、それを生み出した沈香樹が枯れ果てた後も朽ちることなく、半永久的な生命を与えられます。沈香樹が恐らくは何千年・何万年の永きに亘る試行錯誤の末に辿り着いた自己防衛手段の賜物として作り出す塊―香木―は、私達人類が獲得した科学の力で再現させることなど遠く及ばない、不思議な力に満ちているのです。そして、似たような香りが他に存在しないにもかかわらず誰もが「知っている」と感じるのは、それが本当に『天地の正気』であるからかも知れません。

香木を炷(た)く―香炉で加熱する―ということは、数十年~数百年かけて沈香樹の中に育まれた香気を、その瞬間に初めて、そして永遠に、解き放つことに他なりません。僅か三~五ミリ角、厚さ約一ミリの小さな欠片から発散される香気を決して無駄にすることなく十分に味わい尽くそうとする修練から始まり、それを極めるに至る道程に終着地が存在しないと悟れること、それが香道という「道」の奥行きを限りなく深めているように思えてならないのです。

香木が持つ力を最大限に発揮させるために工夫を重ねられて来た道具の一つに、火道具があります。それは、麻布 香雅堂として独立(開業当時は、自営業でした)して以降、最初に手掛けた思い出深い香道具でもあります。

きっかけは、前号で触れさせて戴いた高橋千惠子様から、『使い勝手の良い火道具が欲しいので、挑戦してみてくれないかしら』と仰って戴いたことでした。当時、人形町の似々教場はまだ存在せず、原宿教場(担当指導者:皆川祐稀子、高橋千惠子)が家元教場となっており、頻繁に伺っていましたので、その場で御家元にお許しを請うたところ、ご承諾を得ることが出来ました。

『使い勝手の良い』ことは道具に要求される基本的な資質ですが、では何がそれをもたらすのか、答えを見つけることは容易ではありませんでした。難問を解く研究材料を提供してくれたのは、銀閣寺教場にて長らく稽古を続けていた母でした。香道志野流の大先輩である西山宗居が所持した火道具一式(全七種、別名「七つ道具」)を、ご本人の書付と共に『大事にしなはれ』と授けてくれたのです。書付によると、それは文化年間に某氏が「蜂谷十四世貞重より皆伝の証として授与」されたもので、皆伝者以外には使用を許されない仕様、たとえば香匙・火箸・羽箒の金具は金で柄は鼈甲、銀葉挟はニグロメ(煮黒め=銅一〇〇と白鑞(しろめ)三との合金)製に繊細な秋草文が毛彫りされており、鶯は金・銀の斜継となっています。

それらの火道具を恐々使ってみたところ、見掛けでは判らなかった細部の機能が、徐々に理解出来るようになりました。

銀葉と呼ばれる雲母の薄い板を的確に、しかも余分な力を必要とせずに挟むために大切なことは何なのか。深過ぎず、浅過ぎない匙の膨らみ加減はどのようなものか。小さな香木片や縁の無い銀葉を摘む香箸の先は、どのように削れば良いのか。聞香炉の灰を効率よく掻き上げ、綺麗な箸目を付けるための火箸は、どれほどの太さ、どのような形状が望ましいのか。羽箒の柄を安定させるためには、どのように作れば良いのか。鶯を転がり難くするために、どんな工夫が為されているのか。灰を山状に形作る灰押の先端や裏面の形状は、如何に削り上げれば理想的なのか。そして、重さはどうか・・・。

理想的な使い勝手をもたらす工夫を自らの手に覚えさせるまでに何ヶ月かを要したのですが、困難だったのは、それから先のことでした。私的な感覚を客観的に形として現わしてくれる職人さんを、探さねばなりません。製作に際しては相当な試行錯誤を繰り返す必要があるため、遠方では大変と考えて、身近な東京で見つけることにしました。その際にも、母は積極的に同行してくれました。火道具など見たこともなかった銀職人さんに試作を請け負って貰うには、見掛けによらず粘り強い、そして控え目ながら迫力のある京女の一途な姿勢が、大きな役割を果たしてくれたと感謝しています。

幸いなことに、その銀職人さんは何十回にも亘って容赦なく突き返す「駄目出し」に音をあげることなく努力を継続してくれて、ようやく御家元にご覧いただけるものを作り上げることが出来ました。金具は南鐐(なんりょう)(上質の銀)、柄は本象牙を用いることと決め、羽箒の羽根には水鳥の力羽を探し集めて貰いました。本象牙を選んだ理由は、昔の名品に例が多いこともさることながら、小さい頃に習ったピアノの鍵盤が不思議と汗で滑ることなく、固いように見えて心地よい柔らかさを伝えてくれた記憶が残っており、指先の繊細な感覚を手前作法に伝えるための素材として、適切と判断したからです。

完成した火道具は皆伝者にだけ許される仕様を写したものではありませんが、御家元はこれを「伝来形」と看做して下さり、所持を希望する門弟には御箱書を認めて戴けることになりました。

その後何度か調製を繰り返すうち、密かに懸案としていた香匙・羽箒金具の透かし彫り(七宝繋文)を実現するなど、細かい改良を加えて現在に至っています。

香道志野流第十四世御家元が調製された火道具は縁あって麻布の地に落ち着くこととなり、第二十世御家元のお許しを得て、現代の火道具の規範となりました。有り難く、感慨深いことです。

写真の火道具は、香道御家流先代御宗家からご指定戴いた「笏(しゃく)」形の灰押を組み入れた仕様に、唐草文蒔絵を施したものです。極めて細い柄に繊細な蒔絵を付ける匠は今も活躍してくれており、心強い限りです。