Column

2010.07.11

茶・花・能と香 4

茶・花・能・香という芸道は、相互に深い関連を持ち、また推移にある程度の共通性を持ちつつ発展してきました。

「能が舞台芸術であるのに対して、茶・花・能は室内芸能であり、両者の違いは、演者と観客との区別が明確か否かにある」というのが定説となっているようですが、そのような視点からそれぞれの芸道の特徴を論ずるのは、あまり意味が無いと考えます。何が舞台であり、誰が観客であり、演者と観客とがどのように関わり合うのかということは、さほど重要では無いと考えるからです。

茶・花・能・香に共通するものは、それらが芸道として成り立つために、固有の空間と時間が不可欠であることと言えます。すなわち、例えばお茶を飲むこと、玄関や応接間に花を飾り、香をたくこと、そして喜怒哀楽など心情の起伏や感動を覚えること等が日常の中で行われる限り、それは生活そのものであり、それらを日常から切り離す、あるいは日常の中に日常では無い場所を設定することによって、はじめて作法が生まれ、式が定められ、型が作られたのです。

能舞台や、茶室・香室などの会所が造られたことで、個人の芸術は他者との関わりを前提とする芸道あるいは芸道へと進展したと言えるのです。

他者との関わりを重視することには、ある意味で危険を伴います。それぞれの参加者が何を求めているのか、どうすれば堪能してくれるのか、どの様に答えてくれるのか、その予測がつかない場合は尚更です。亭主の心と、客の心との交わりという精神性よりも、いかに楽しく時を過ごすかという遊興性に主眼がおかれることは、芸道の破滅を招きかねないのです。

幸いにして茶・花・能・香という、日本を代表する芸道が数百年の時を経て連綿と継承され、現代に生きる人々にその存在を認められ、愛され続けていることは、世情の変遷にもかかわらず、人間の心と身体に、不変の何かが脈々と受け継がれていることの証に他ならないと思います。その不変のものとは、一体何なのでしょうか。

茶・花・能・香に共通するものがもう一つあります。それは、自然と共に在ると言うだけではありません。私達人間そのものが、やがては土に還る、自然の一部なのです。短い歴史の間に科学文明を築き上げ、あたかも宇宙の支配者であるかのように錯覚している人類も、自然の素材によって形作られている、ひ弱な生物に過ぎないのです。

先程の「不変の何か」とは、人間の存在自体が自然そのものであることと、密接に繋がっているに違いないと思います。

今、自然が持つ力によって癒されたいと願う人が激増しています。科学的に合成された匂いが溢れる中、香木の香りに安らぎを求める若者が、香道に足を踏み入れることも珍しいことではありません。一人でも多くの人が、自分自身の内に在る「不変の何か」に目覚め、自らが持つ自然の力を生かすことを願ってやみません。小さな香木のかけらの中に、それだけの力が確かに在ると信じているからです。

この連載も、次回で最後となります。永い間、貴重な誌面を預からせていただいたこと、そして何よりも、独りよがりな拙文にお付き合い戴いたことに心から感謝の意を表したいと思います。有り難うございました。

詰まるところ、私は単なる「究極の香木好き」であると思います。最終回は、その独白で締めくくらせていただきます。

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