Column

2010.07.11

潤朱塗四季棚(大倉集古館蔵品写)

出雲市に、『出雲市立出雲文化伝承館』という広大な施設があります。竣工は、平成三年でした。

施設は、出雲屋敷・出雲流庭園・松籟亭・独楽庵・常設展示室・企画展示室・出雲文化工房・食堂などによって構成されています。それぞれが趣のある建築物で、松籟亭は数奇屋建築の権威中村昌生博士の設計監修による呈茶席、独楽庵は、松江藩第七代藩主松平治郷不昧公遺愛の茶室です。その由来は、「千利休が、豊臣秀吉の許しを得て『長柄(ながら)の橋杭』(古来、伝承が数多い)を柱として一畳台目の茶室を宇治田原に建て、独楽庵と称した。後に三畳台目の船越席・四畳半の泰叟席が加えられ、不昧公の所有となり、不昧公は独自の趣向として三関三露と称する露地庭を添え、大切に守り伝えた。それを、中村昌生博士の監修により、出雲文化伝承館内に忠実に復元した」と要約されます。門をくぐって外・中・内と三重に構成された露地に導かれるうちに、いつしか浮世を離れて茶の湯の深遠な世界に入り込むという絶妙な趣向は、不昧公の面目躍如たる風情だと感じられます。

圧巻なのは、出雲屋敷です。

出雲地方の平野部を代表する大地主、江角家の旧宅の一部(母屋と長屋門)を移築したものですが、土間に聳える大国柱(だいこくばしら)(大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀る出雲ならではの表記)、ふんだんに使われている、信じ難い寸法の黒松の梁、そして当地の気候・風土に適った開放感溢れる、それでいてさりげなく品格を感じさせる書院造りの客座敷など、豪快でありながら繊細な感性に満ちているのです。

その座敷の襖に、源氏香の図が描かれています。

襖の図形を子供の頃に見覚えていて、やがて東京の大学で香道のサークルに入り「源氏香」を行なった際、初めてその図形の意味を知り香道との深い縁を悟った香人が、今回の四季棚のお施主です。

出雲屋敷が祖父の実家であったという 大谷香代子様(旧姓江角)は、結婚後、昭和五十七年にご主人の生家(出雲市平田)に落ち着き、昭和六十年、中国地方では初めてとなる香道御家流の稽古場(第二十二代宗家三條西堯雲宗匠により、和草(にこぐさ)会と命名)を設立されました。二男一女を育てながらの稽古を続け、二十周年を迎える頃、記念の香席を企画されました。会場に選ばれたのは、香道との縁が生まれた場所、出雲屋敷の客座敷でした。そしてその席を飾る記念の香道具として、四季棚の調製を思い立たれたのです。

企画がまとまってから当日まで半年間もありませんでしたから、一旦はお断りしました。小さいとは言え、襖を表具して絵を描かねばなりませんし、隅金具を作り、飾り彫りを施すことも必要です。釘も、一本一本を銀で手作りすることになります。何よりも、漆塗りが前提でしたから、完成までに五回以上塗り重ねなければならず、短くても一年半ほどの期間を要する仕事になることは、明らかでした。

ところが、ひとたび『四季棚を飾る』と定まったお気持ちは、もはや動かすことが叶いません。『途中まででも良いから、ぜひ手掛けて欲しい』との再度のご依頼を受け、「中塗りまでの段階で作業を中断し、当日の香席に飾り置いた後に、再びお預かりして完成を目指す」という、前代未聞の仕事を請けさせて戴きました。

どのような四季棚に仕上げるか、その構想だけは出来上がっていました。ホテルオークラ東京本館に隣接する我が国最古の私設美術館「大倉集古館」に、香道御家流ゆかりの四季棚(山本伽耶(かや)旧蔵)が収められており、何度も拝見していたからでした。それは、本桑木地による極めて繊細な指物にごく軽く拭漆を施して仕上げてあり、小襖には、土佐光孚(みつざね)の筆によって、美しい日本の四季が象徴的に描き表わされている名品です。

桑木地については改めて触れさせていただきますが、現代において乾燥し切った良質の桑材を確保している指物師は皆無と言って良く、当初から『調製するなら、漆塗りで』と考えていました。

大谷様とは随分と長い付き合いで、それまでに種々のお道具を手掛けさせて戴いていました。その中に、溜塗りで仕上げた乱箱・重香合・手記録盆・本香盤・試香盤がありました。溜塗りは、仕上げの透き漆を塗る前の工程で朱塗りを施す技法で、歳月の経過につれて仕上げの漆が透けてゆき、徐々に朱色が色濃く現われるという典雅なものです。完成した四季棚にそれらのお道具が飾り付けられる可能性を考慮すると、もし同様に溜塗りで仕上げた場合に、製作年代の違いによって生じる朱の表れ方の違いが、却って微妙な違和感をもたらすことを懸念しました。かと言って、眞塗りあるいは蝋色仕上げでは、溜塗りとの対比が強烈になり過ぎる恐れがあります。そこで、色に経年変化の生じない潤朱塗りを選択することに決めたのです。

大倉集古館のご厚意により、輪島から駆けつけてくれた二名の職人さんと共に細部に亘って採寸させて戴き、準備は調いました。素敵な仕上がりが予想され、楽しみは膨らんでいました。ただ、漆塗りの場合、本歌とする桑木地の作品のように、繊細な透かし彫りは不可能です。切り抜いた部分には、せめて指が入るだけの空間が無いと、きれいに塗り上げることが出来ないからです。そこで、大谷家の家紋を透かし彫りして金を蒔き、高貴な風格を表現することにしました。

もう一つ、本歌の小襖は、絵絹の裏面から本金箔を押して表具してあり、その控え目な光沢は桑木地の本体に似つかわしいものでしたが、漆塗りの仕上げには地味過ぎると判断し、表から本金箔を押すことにしました。

本体は輪島、襖は京都の表具師原田さん、絵は東京の児玉さん、房は滋賀県の田中さんに調製をお願いし、冷や汗を流しつつ、二十周年記念の香席の開筵に間に合わせることが出来ました。

その後改めて塗りを重ね、金具も銀で作り直し、十文字さんに撮影して戴ける状態にまで完成させるには、さらに一年の月日を要したのでした。

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